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9月28日、屋内集会「~東電は福島に何をしてしまったのか?~ 福島の”いま”を知る9.28集会」を隠田区民会館で開催しました。参加者は60人。

司会の園からこの集会を開催した趣旨の説明。
「3.11事故から2年半以上になり、ある時期には運動も盛り上がったが、被ばく労働、賠償、住民の被ばくの問題などについて、首都圏の取り組みはまだまだ弱い。一方で復興キャンペーンによって福島が忘れられつつあるように思える。一方でオリンピック開催が決まり、安倍首相の”汚染水はブロックされている”発言のように、さらに被害が隠されようとしている。この集会を被害の問題をなるべくつなげた運動を作る一歩としたい。」

◆最初に、弁護士として福島で原発被災者の生活相談を行っていた竹内佑馬さんから、「原発事故被害者の”いま”」の報告。

32いわきで聞き取り調査や生活相談をしてきた。深刻な被害にいつも泣きそうになる。オリンピック開催決定にびっくりした。賠償が進んでいないのに、やるべきことが違う。

東電は、自分で賠償の基準を決めている。言葉遣いは丁寧だが、「中間指針」の範囲でしか賠償しない、としている。被災者が求めているのは新しい生活と自分たちの尊厳の回復、生活再建だが、いまの賠償基準ではとても叶わない。

東電との交渉では、被害者が壇上の下にいる。東電はマニュアルを棒読みするだけ。謝罪は拒否したままだ。

避難生活3年目の相談者は、「希望がない。国は福島を見捨てるのか。避難先で差別的な扱いを受ける。落書きや車にキズをつけられる。おばは疲れ果てて昨年死んだ。国を許すことはできない」と語っていた。

いわき市に避難している人々に一部の心ない市民が「被害者バッシング」をしている。これは「指針」で東電が被害者同士を分断した結果起きている。水俣以来の手法だ。

茨城在住者の相談も受けた。茨城でも住民の身体からセシウムが検出された。子どもたちは不安を抱えて生きているが、「早急に子どもたちを検査しろ」と要求しても、東電は「避難対象外」として「検査する合理的理由がない」と言う。国も「無償で健康診断や検査する必要はない」と突き放しているのが現状だ。

私は今後も、被害者の声を「これでもか」と届けたい。これでもかと被害を訴えて、「被害者救済法」を作るように世論を動かしたい。

続いて、いわき市在住の方からアピール。

原発事故の怒りとストレス、神経症などで障がいを負ってしまった。東電に苦情を言ってもなんの補償もない。自殺すら考えた。「汚染水」の問題ひとつとっても、雨になり循環して汚染は広がる。皆が「被害者」として考えてほしい。原発再稼働はありえない。

◆次に「被ばく労働を考えるネットワーク」のなすびさんから。

342011年秋から「被ばく労働を考えるネットワーク」は取り組みを開始した。自分は山谷=寄せ場の運動に関わってきたが、山谷では「誰も働かなければ原発は止まる」と言われてきた。しかし、被ばく労働の放置が福島事故につながった、と思っている。その思いから参加している。

大熊町在住の佐藤佑禎さんの歌集『青白き炎』には、20年以上前から急死する原発労働者の歌が頻ぱんに出てくる。東京にいる私たちは、その現実を知らなかった。運動で「事故前に戻れ」という言い方がなされる時があるが、労働に関してはあってはならない。

楢葉町は「先行除染地域」と環境省に指定されているが、実態はゼネコン丸投げだ。人事院勧告で危険手当が警戒区域内で一人一日一万円と定められているが、業者は労働者に伝えない。労働者は危険手当の存在を誰も知らないし、誰ももらっていない。支給されても、せいぜい十日で千円、一日百円だ。上の業者と下の業者で取り決めがない。

埼玉の除染請負業者の例では、一ヶ月待機させられ給料も出さない。ひどい食事を朝晩出されるのみ。危険手当もなく、労災も認めない。通勤時の交通事故を強引に「単なる交通事故」にしてしまい、通勤労災として認めなかった。

「手抜き除染」について報道されたが、そういう現場は労働者の扱いもひどい。しかし、労働者については、マスコミは伝えない。楢葉町では除染に200億円の予算が組まれているが、ゼネコンに金を流すためとしか言えない実態だ。出稼ぎ労働者のあいだでは声をかけられた時に言われた条件が現場では違っていることを「福島のやり方」と言われている。

避難者や地元民の怒りが「除染なんか」と除染労働者に向かっている側面がある。「除染」で分断が生まれている。

除染労働も収束作業も、多重下請け構造の異常さは、3.11以降の「緊急事態」だからではない。3.11前から原発労働とは、そういうものだった。原発の必要のないあり方を、原発立地地域・地元の人々とともに考える必要がある。

◆次に「ふくしま集団疎開裁判」の柳原敏夫弁護士から。

09原発事故で、チョムスキーの言う「社会の最も弱い人々を社会がどう取り扱うか」が問われている。子どもを被ばくさせないということは、倫理上の最大の問題であり、課題だ。被ばく量の基準引き上げなど、国や推進派はチェルノブイリから学んでいた。一方で「3.11」が市民運動につきつけたのは、「命こそ宝」という概念だった。ここに「疎開裁判」の原点がある。

2011年の6月に提訴して、チェルノブイリ事故と対比した健康被害の予測を裁判所に提出した。しかし、同年の12月16日に却下の判決が出た。これは野田前首相の「収束宣言」とセットのもので、被害も「収束」したことにされてしまった。

しかし、二審では、一審に続いて却下の判決である一方、「生命・身体・健康に関して由々しい事態の進行が懸念される」と判決文で表明されるに至った。これは衝撃として、日本を除く世界を駆け巡った。「世界市民法廷」や「金曜文科省前アクション」などの取り組みの成果であり、私たちとしても想定外だった。

健康被害の危険は、甲状腺がんだけではない。被ばくによって様々な健康被害が発生する。その危険はチェルノブイリかそれを上回る可能性がある。「免疫力の低下、慢性疲労症候群、めまい、睡魔、記憶喪失、集中力低下」…これらは危険信号と捉えるべきだ。そして、先天性障がいは、世代を経るごとに悪化するのが放射能の恐ろしさだ。

私たちもまた、「チェルノブイリ」から学ばなければならない。発想の根本的転換が必要だ。「苦悩という避難場所」から脱出して「真の避難場所」に向かうことが必要だ。そのために、「新しい人間」、「新しい方法」、希望の全てを注ぎ込んで解決策を創造しよう。

◆ディスカッションでは、一参加者として前双葉町町長の井戸川克隆さんから発言がありました。

21私は、事故前から保安院と付き合ってきた。あの事故の根源は「嘘」にあるが、事故後も国の体質は変わっていない。この事故で公務員ははたして「公平・中立」だったのか。

年間1msvの被ばく基準を引き上げて政府や県が福島県民を被ばくさせている。福島県行政は加害者だ。『福島原発事故 県民健康管理調査の闇』(日野行介 著 岩波新書)をぜひ読んでほしい。

「立地地域は交付金で潤っていた」などと言われるが、大して潤っていたわけじゃない。それが、いまでは放射能まみれだ。福島事故は「事故でなく事件」という理解が必要だ。そう考えることで物事が整理されるだろう。そして、福島はオリンピックどころではない。

◆会場から「汚染水」問題は解決不能に見えるが、どう考えるか、という質問。

井戸川さん「”ブロック”発言はありえない。被害は拡大するだろう。1日400tが海に流れているという試算があるが、実際はもっとだろう。陸側から流れ込んでいる水はものすごいものがある。α線β線ストロンチウムあらゆる核種が流れて体内吸収は必然と考えるしかない」

竹内さん「原発は人の手に負えない。収束は誰にもできないだろう。福島では”安全な魚を提供できない”と漁業から離れた人はたくさんいる。いま見えている被害は、氷山の一角だろう」

なすびさん「最初からあんなタンクはダメだと業者が言っていた、と労働者は聞いているが口外するなと彼は言われていた」

◆学校で放射線測定をして、数値を公表したら「不法侵入」で訴える、ということがある。この法律の恐ろしさ、壁の突破の仕方をどう考えるか?という質問。

なすびさん「労働相談しても、外に出せない情報は多い。争議で闘うことになりかねず、本人が踏み込めない場合も多い。運動や地域で多くの人間が関わる枠組みが必要ということだろう。裏取りを行政にやらせるなどのやり方もあると思う。」

集会は、「福島の立場・目線からの反原発運動を引き続き模索しよう」と確認して閉会しました。